月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

4.月の眠る惑星



サラトーヴは美しい惑星であった。
どこか聖地にも似た穏やかな気候と豊かな自然。
惑星史によれば五世紀ほど前まで王政を敷いていたこの惑星は国王自らの英断で現在の民主政治に切り替わったという。
この美しい星に、問題があるなんて。でも確かに、微かな気配がある――
アンジェリークはそう感じていた。
いざという時のために今回臨時に王立派遣軍も派遣されている。
住民の避難などの手助けのためだ。
できるなら、大事になる前に封印し直さなければ。
市街に監査本部も置かる予定で、それを待てば軍の人間に指示する事もできるのだが、いまいち人を使う事には慣れていない彼女はひとり下見と称して辺境の古神殿へと向かった。
いかつい軍人(と勝手に思っている)を顎でつかえるほどまだアンジェリークは肝が据わっていないらしい。

意外ときつく、岩ばかりで樹木の無い山道を登っていくと遠くに古神殿が見えてくる。
以前から何度も封印を繰り返したという記述が惑星史にはあった。
かつて存在した王家の主な役割はそれだったのだろう。
王家が存在しなくなった後1度、光と闇の守護聖の手によってもそれはされているそうだ。
四百年も前の事である。
アンジェリークは何気なく
――四百年も前かあ。何代くらい前の守護聖様かなあ
と考えて、あれ?と思う。
もしかして、ジュリアス様と、クラヴィス様のこと?
自分達の体質を考えればそれは正しい。
―― 私もこれから、長い時を生きることになるのね。
頭では分かっていたことが不意に実感をともなってアンジェリークの中に言いようの無い影を落とした。

古神殿は半分崩れそうになりながらも、どこか重い圧力を感じさせる姿を呈している。
よく晴れたはずの日なのに神殿の周りだけ空気が暗くよどんでいた。
少しためらいながらもその聖域に足を踏み入れる。

「……!」
その瞬間、激しい痺れのような衝撃が彼女を襲いアンジェリークの意識は暗転した。

◇◆◇◆◇

再び意識を取り戻したとき辺りはもう暗くなっていた。空に幾千の星が輝いている。
神殿に程近い1本のヒマラヤ杉の樹の下に彼女は寝かされていた。
「気がついた?」
かけられた声の方向を向く。
明々と燃える焚火の向こうに自分と同じぐらいの年の少年を見つける。
ダークグレイの髪にやはりグレイの瞳。整った、理知的なそれでいてやさしい顔立ち。
「ごめん。王立派遣軍が立ち入り禁止命令を出しているし、まさか人がくるなんて思わなかたんだ。悪しき気配が外にでないよう、結界を張ってて ―― 君はそれに引っかかった」
アンジェリークは体をおこし、ふと体に掛けられていたパーカーに気付く。
少年のものなのだろう。
「大丈夫かい?それほど人体に悪影響はないはずだけど」
心配そうな少年の問いかけにアンジェリークは笑顔で答える。
「う〜ん、どうやら、大丈夫みたい。どこも、痛まないし」
首を曲げてみたり、伸びをしてみたりして確認する。
それにしても、とアンジェリークは気になる先ほどの台詞を問う。
「結界って、あなたが?」
その問いかけ方と様子に少年もおや、という表情を見せる。
「サラトーヴの人間とは始めから思ってなかったけど、普通の観光客、ってわけでもなさそうだね」
あははと笑ってアンジェリークは適当に誤魔化す。
「まあ、いいや。どちらにしろ、ここには近づかない方がいいよ。どうやら、ようやっと聖地の方でも動き出してくれたみたいだし」
と、最後の方は独り言に近い。
「動けるようなら山を下りよう」
意外と強い口調で言われアンジェリークはつい頷いてしまう。
―― まあ、いいか。今回は下見だし。
すでに大体の状況は把握できている。
もどってゆっくり対策を立てよう。この人の張っている「結界」で、暫くは平気そうだしね。

◇◆◇◆◇

山を下りながらふと見上げた空にアンジェリークはつぶやく。
「今日は、新月なのね。あ、この惑星に衛星ってなかったんだっけか?」
それに少年が応じる。
「この惑星の別名を知らない?」
「???」
「『月の眠る惑星』衛星がないわけではないんだ。ただ、恒星と惑星と衛星の自転、公転の兼ね合いでいつでも月は新月、というわけ」
「あ、なるほど。じゃあ、ここのお月さまはいつも拗ねてるんだ」
「拗ねてる?」
「そう。太陽に背を向けて拗ねてるの。以前、新月の日に、『月が無い』って言った人がいてね」
その時、彼女は「見えないから『無い』っていうのはおかしい」と言ったのである。
「それまで笑顔なんてみたことない人だったんだけど、月は拗ねてるだけ、って言ったら、笑ってくれたわ。びっくりしちゃった」
くるくる表情を変えながら元気に話す少女。
ところで、とアンジェリークは話題を変える。
「惑星の別名はわかったわ。で、あなたのお名前は?私は、アンジェリーク」
少年は少し面食らったような表情で、そういや言ってなかった、と笑う。

「セリオーンっていうんだ。アンジェリーク」

◇◆◇◆◇

市街でセリオーンと別れ、監査本部へ向かう。すでに夜は明けていた。
そういえば、戻ったら王立派遣軍の惑星監査担当の人との顔合わせだわ。
ごついおじちゃんだったら恐いなあ、などと思っているアンジェリークである。
―― セリオーン、ちょっと、ハンサムだったな。また逢う機会、あるかしら?
結界を張れる力の持ち主。その事を聞くのをすっかり忘れていたが、この件で力を借りた方がいいかもしれない。
けれど再会したい理由は、「結界」より「ハンサムだった」に重きがおかれているようである。

アンジェリークが本部の執務室で書類をまとめていたとき、ノックの音がする。
どうぞ、と返事を返し、入ってきた人を見る。
いかにも、軍人然としたいかつい四十代くらいの男性を想像していたアンジェリークは嬉しい誤算に笑みを浮かべる。
軍服を着込んでさきほどより大人びてみえるものの、驚きに目を点にしているそのひとに挨拶をした。

「女王補佐官兼、惑星監査官のアンジェリークです。今後ともよろしく。セリオーン」


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